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ハプスブルクとオスマン帝国
(河野淳、講談社選書メチエ)


ハプスブルクとオスマン帝国本屋でパラパラと立ち読みをして、「クロアチア」の文字を見つけて購入したのが「ハプスブルクとオスマン帝国」。
昨年の夏休みに行ったクロアチアは本当にいいところで、帰ってきてからも、もっと、クロアチアのことを知りたいと思っているのだけど、日本語の本はまだ少ない。

そういうわけで、あまり深く考えずに、タイトル通りの歴史本と思って読み始めたら、サブタイトルにある「歴史を変えた<政治>の発明」の方が本題で、実は、政治史の本だった。
内容はシンプルで、あとがきにあるように、「...オスマン帝国から国を守るという極限状況がハプスブルクに強いた、理想を追わず現実を直視するという心性が、十六世紀的な、世界を客観的、数量的に把握し分析するという技術と出会い、そこに強力な、説得力のある実証主義政治が生まれた...」ということを、史実に従い解説するというもの。
記述は平易で、ふむふむと納得しながら先に進むことができる。ただ、政治史というのは、如何せん、マイナーで、自分も含めて、一般受けする内容ではないんじゃないかな。

それにしても考えさせられるのは、それでは、今の政治はどうかということ。
本書では、実証主義政治以前の主観的でドグマチックな判断が中心となる政治を思弁政治と呼んでいるが、当然、現代においては、政治手法として実証主義政治の方が優れているはず。が、現代の、とりわけ、日本の政治は実証主義的と言えるのか。
「雇用は守られなければならない」、その通り。「格差はいかん」、その通り。でも、もう、高度成長期のような大幅な経済成長が不可能な状況で、どうやって、それを実現するといのか。もう、パイは限られてしまったのだ。解雇だって格差だって認めなければならない。その上で、クビになった人の再就職を容易にするような仕組みを用意する、低所得層には最低限の生活を保証する仕組みを用意する。そういう方向へ、転換をしなければ。
もちろん、「格差はあってはならない」というのは理想ではあるけれど、実現が不可能な状況にあっては、それはドグマに過ぎない。現実を見ず、ドグマに拘泥されているのは思弁政治であって、それでは、現実に即した有効な戦略をとることはできないのではないか。

おっと、話が逸れたけど、クロアチアを知るという面ではどうかというと、クロアチアの歴史も政治史の転換における一状況という扱いなので、当然、補助的な説明に留まる。それでも、ハプスブルク配下の時代の状況は、ざっとは理解できる。少なくとも、文庫クセジュの「クロアチア」よりは、全然、分かり易い。

新規作成(10/6/12)

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