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私の日本地図 下北半島
(宮本常一、同友館)


私の日本地図 下北半島今年のゴールデンウィークは下北半島に行ってきた。帰ってきてから、ネットを眺めていて、なんとなく、見つけたのが「私の日本地図 下北半島」。宮本常一なのだが、下北半島をテーマにした本があるとは知らなかった。初版が昭和42年の古い本なので、早速、ネットの古本屋で注文。便利な世の中になりましたなぁ。

宮本常一自身は、昭和15年から昭和41年まで、9回、下北半島を訪れていて、その経験をまとめたのが本書という位置付け。9回のうち、昭和38年以降に7回訪れていて、また、昭和42年の出版というタイミングを考えると、昭和30年代後半の下北の民俗や地理、その歴史が中心に描かれているのだと思われる。
訪れている範囲は、下北半島全体をほぼ網羅している。なので、実際に、自分が行ったところ、走り過ぎただけのところも、大体、カバーされていて、あそこには、こんな暮らしや歴史があったんだとか、通り過ぎるだけでなくて寄ってみたかったなぁなどと思いつつ、読み進めた。

相変わらず、宮本常一は、よく歩いているが、地域を見る誠実な視線も相変わらず。例えば、恐山の西側にある畑というマタギの村の写真のキャプションにこうある。これは、自分も当てはまるよなぁ。

「マタギの村は想像したより明るくモダンだった。ある雑誌社の人にこの写真を見せたらこれではつかいものになりませんといった。町の人は田舎人のまずしいのがすき」(P.36)

また、以下のような、いかにも民俗的な話を読むと、心が和むというか、人間ってなぁ...という感情が、自然と湧いてくるのだった。

「磯谷の南の福浦できいた話だが、村に適当な娘がいないので嫁をもらいそこねていた若者がいた。磯物(海産物)を積みに来た津軽の川崎舟の船頭が
「嫁をもらったらどうだ」
とすすめてくれるので、適当な女があったらたのむ。と言っておいた。ある日山で仕事ををしていると、船頭がわざわざ山までやって来て、「嫁をつれてかえって来た」という。家へかえってみると、台所で見知らぬ女が働いている。
「ああこれが私の嫁か」
と思ったそうである。女はよく働いた。そして夕はんの支度もしてくれた。夜になると寝床の中にはいって来た。見知らぬものがいっしょになってうまくゆくものですかときくと、
「うまくいっているのでしょう、それからもう五〇年近くになりますが、まだそばにいてくれます」とその人は話してくれた。」(P.248)

他にも、下北半島という場所に限らない、旅に生きた人らしい文章も魅力的。以下の、ひとつ目の文章は焚火に通じるし、ふたつ目は、ライダーは、何故、岬に魅かれるのかについての説明になっているのではないだろうか。やっぱり、宮本常一はいいなぁ。

「われわれがある農家をたずねて、村の昔のことを四〜五人の人にきいてみたいというと、その場で誰と誰という風にその家のものがよびにいってくれ、あつまって来るのが火のほとりである。そして話がはずむ。火をかこんだ車座というものは人間関係に上下をつくらず、また不思議に人の心をなごやかにする。人が火を知り、火を利用することになったとき以来、火が生活の中心になったことは長い人間の歴史がこれをしめしている。...めらめらともえる火はじっと見つめていると、何時間でも見ていられるものである。そして心をあたたかくする。」(P.112)

「岬の突端はどこでもさびしいものである。眼のまえはただひろびろとした海そしてそのはてしない彼方へ思いをはせつつまた引きかえさなければならぬ一種の限界感の持つ孤独感は岬をおとずれる者がひとしくあじわうことであろう。それでいて人びとはそこまでいってみないとすまないような誘惑にかられる。」(P.130)

新規作成(08/5/27)

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