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三陸海岸大津波
(吉村昭、
文春文庫)


三陸海岸大津波昨年の夏の東北ツーリングの際に、三陸を走って感じたのは、津波の際の避難経路の標識や、津波の想定限界地点を表示する国道の標識、巨大な防潮堤等の津波に対する対策が尋常ではないこと。特に、防潮堤などは、これが無ければ、さぞかし、景色もいいだろうなどと思っていた。
それ以来、三陸の津波に関して知りたいと思っていたのだが、先日、本屋で平積みにされているのを見つけたのが、「三陸海岸大津波」。

本書によると、三陸は、近いところでは、明治29年と昭和8,35年に、津波の大きな被害を受けている。特に、明治29年と昭和8年の津波は凄まじく、海岸沿いの村落では、壊滅状態というところも多数あったらしい。そして、なんと、ツーリングの際に、晩ご飯を買うためにコンビニへ行った田老は、明治29年と昭和8年の津波では最大規模の被害を受けていた。そのためか、田老近辺の被害状況を示す地図も掲載されているのだが、自分が泊まった海岸沿いのキャンプ場の周辺も、津波が打ち上げた区域として色付けられている。うーん、知らなかった...
キャンプ場の周りには民家は無かったように記憶しているが、山側に少し登った辺りに、集落があった。暗くて道に迷ってしまったところで、なんとなく、不自然な感じがしたような気がするけど、高台にあったのは、津波を避けてのことかもしれない。津波の被害の後、そういう動きがあったと書かれている。

本書は、まえがきに、「...一つの地方史として残しておきたい気持ちにもなった。」とあるように、津波の恐ろしさをドラマチックに描くというよりは、史実の記述に重点を置いている。なので、三陸の津波自体に興味がない人は、途中で、飽きてしまうかもしれないが、それでも、短いながらも、津波が襲いかかってくるシーンの描写からは、その恐ろしさを感じることができる。防潮堤が無ければ景色がいいだろうなんて、通過するだけの観光客の浅はかな考えということがよく分かった。

それにしても思ったのは、人間というものは、自分の命がかかった重大事さえ、自分の都合のいいように解釈しがちということ。昭和8年の津波では、明治29年の津波の際と同様の前兆がありながら、3月初旬の厳寒のせいで、冬期と晴天の日には津波は来ないという言い伝えを信じて、地震の後に寝入ってしまい、被害に会った人が多かった。寒中に居たくないという心理が、言い伝えをいいように解釈して、津波は来ないということにしてしまったのだ。これは、現在の災害でも当てはまることになるだろう。仕事だって、何かと自分の都合のいいように解釈して、後で痛い目に会っている人達をよく見掛けるもんな。

なお、一方、このような津波の恐ろしさだけでなく、三陸の魅力を表した以下のような文章もある。筆者は、三陸の魅力を感じたが故に、反面的な津波のことを書いたようだ。

「私を魅する原因は、三陸地方の海が人間の生活と密接な関係をもって存在しているように思えるからである。観光業者の入りこんだ海岸の海は、観光客の眼を楽しませることはあっても、すでにその土地の人々とは無縁のものとなっている。海は、単なる見世物となっていて、土地の人々の生活の匂いが感じられない。また都会や工業地帯の海は、ただそこに塩分をふくんだ水がたたえられているというだけにすぎない。海の輝きもなく、それらは汚水の流れこむ貯水場でしかない。それらにくらべると、三陸沿岸の海は土地の人々のためにある。海は生活の場であり、人々は海と真剣に向い合っている。...岩手県の三陸沿岸を歩く度に、私は、海らしい海をみる。屹立した断崖、その下に深々と海の色をたたえた淵。海岸線に軒をつらねる潮風にさらされたような漁師の家々。それらは、私の眼にまぎれもない海の光景として映じるのだ。」(P.65)

新規作成(08/5/27)

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