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「理趣経」入門
(大栗道榮、すずき出版)


「理趣経」入門空海の思想について」を読んだ時に、真言密教では、理趣経というお経を重視していることを思い出した。で、その理趣経は、司馬遼太郎の「空海の風景」に書いてあったのだが、なんと、性欲を肯定しているという。そこで、それって、一体、どういうことなんだろうという下衆な好奇心を抱きつつ、「「理趣経」入門」という本を読んだ。
理趣経に関しては、他にも、入門書はあるようだが、密教は行や法具を重視するので、文字だけだと理解が難しそう。なので、絵が多い本書を選んでみた。

構成としては、前半に、密教の概要があって、後半が、理趣経の解説になっている。後半では、漢訳→現代語訳→解説の順序で、理趣経全体が説明されている。で、読んでみて、全体的に、記述が粗いなという印象を持った。文字が大きく行間もあるので、厚みの割には記述量は少ない。そのために、?と思いつつ先に進むことが多かった。また、前半と後半が、イマイチ結びつかず、曼荼羅と理趣経の関係もよく分からない。
そして、最も不明だったのが、後半の理趣経の説明で、漢訳・現代語訳と解説の関係がよく分からなかったこと。自分は、漢訳は読めないのだが、字面を追っているだけでも、解説には、漢訳以上のことが書いてるように感じて、解説部分は、著者の解釈なのか、真言密教共通の解釈なのか、そこが明確でなかった。

ところで、性欲肯定の部分に関しては、どうだったのか。
確かに、初段に、十七清浄句という句が並んでいて、その一番目の「妙適清浄句是菩薩位」という句の「妙適」とは性的なオルガスムスのこととある。現代語訳は「セックスをして最高に気持ちがいいことも、菩薩の境地」とされている。うーん、ダイレクト。他の十六個の句も、似たようなことが書いてあるが、これだけ、はっきり書いてあると、どう考えたらいいのだろう。
で、本書での解釈は以下のようになる。
人間が煩悩を無くすことは難しい。セックスだって、そう。でも、それは、現世の限られた小楽であって、永遠に続く偉大な大楽ではない。小楽を大楽に変換しないといけない。で、その方法が書いてあるのが理趣経なのだ...
でも、原文には、妙適等の十七個の要素は清浄だと書いてあるだけのようにも思われる。うーん、やっぱり、このお経は難しい。実際、平安末期から室町期にかけて、理趣経の文字をそのままに解釈した、真言立川流というセックスを崇拝する流派が広がってもいる。短絡的に考えるとそうなるのだろう。
結局、どうもはっきりしないのだが、そもそも、そんな簡単な答えがあるわけもないか。

というわけで、バチ当たりなことに、興味本位で読んでしまったのだが、まとめると、本書は、自分のように、理屈の面から理趣経を知りたいと思っている人よりも、もっと、実践的に使いたいと思っている人に向いている。読誦用のお経部分が切り離せるようになっているし、CDも付いている。CDも付いて、この値段はお得だと思う。
お葬式以外で、初めて、お経というものを聞いてみたが、なんだか、ありがたい気がして、なかなかいい。格好よくもあって、読誦できるようになりたくなる。
そして思ったのが、お経の理解には読誦が必要なんだろうなということ。多分、他のお経もそうだと思うのだが、理趣経では、真理が幾つかの並列した句で説明されていることが多い。初段の十七清浄句の十七もそうだし、他の段でも四つの句が中心になっているものが数多くある。で、普通の現代人である自分は、この十七とか四という数字の中に、どうしても、構造や意味を探してしまう。なんで、十七なんだ?なんで、四なんだ?が、どうも、そのようなものは見当たらず、結果、なんだか、よく分からないなぁとなってしまう。
が、読誦によって、句そのものが自然と頭に浮かぶようになると、また、別の種類の理解がされるような気がする。お経のありがたさとは、こういうところにあるのかもしれないな。

新規作成(08/2/13)

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