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遠野物語
(柳田国男、集英社文庫)


遠野物語今年のゴールデンウィークの東北ツーリングでは、遠野に立ち寄った。が、遠野物語を読んだことがなかったので、帰ってきてから「遠野物語」(集英社文庫)を読んでみた。

冒頭、遠野を「煙花の街」と書いている。繁華な街という意味とのことで、自分も、想像以上に都会だなと思ったが、当時も同じ印象だったらしい。が、集められている物語は不思議なもので、山男やザシキワラシ、河童達が歩き回っている。今や、リアリティを感じることは不可能なものばかり。
思うに、物語とは、長い時間をかけて形作られた、人間が自然を解釈する方法のひとつ。また、逆に、物語は人間の行動の規範ともなったので、それは自然と生活を繋ぐリンクの役割を持っていた。
翻って、今や、そういうリンクとしての物語の欠如が、様々な問題の遠因になっていると思うし、物語をリアルに感じることができるならば、人生に、また、別の豊かさが与えられるような気がする。そういう意味では、リアルに感じられない自分が、かわいそうでもある。

まぁ、物語をどう読むかは別にして、遠野へ行くならば必読の書だと思う。というか、読んでないと、遠野にある様々なスポットを理解することはできないだろう。
なお、文体は少し古めかしく、所々、文意が取れないところもあるが、まぁ、なんとか読めるかな。

なお、本書には、遠野物語だけではなく小編が幾つか入っており、その中に、「雪国の春」という作品がある。
柳田国男の思想は大きく前期と後期に分けられるのだが、前期をよく表しているのが遠野物語、後期が雪国の春になる。
前期の柳田国男は、山人を、稲を持った平地人に追いやられた原日本人と考え、その復権を図ろうとして、このような不可思議な物語を集めた。遠野物語の前書きにある「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」という一文が、その象徴。自分は、遠野物語は読んだことがなくても、この一文だけは知っていた。だって、格好いいじゃないですか。
一方、後期においては、そのような山人の追求は影を潜め、稲を持った平地人がテーマになる。雪国の春は、このような米を持った常民の文化が、本来は米作に馴染まない北国にも根付いていることを感動的に書いている。編者は、意図して、雪国の春を入れたのだろうか。

また、「女の咲顔」「涕泣史談」「木綿以前の事」は、それぞれ、エムとワラフの違い、日本人はこれまでどのような状況で泣いてきたのか、木綿の普及により日本人の感情がいかに濃やかになったかを、民俗学者らしい繊細な観察眼で書いている。
「酒の飲みようの変遷」は、現在もある宴会から独り酒までの様々な飲み方に関して、その背景を知ることができて、おもしろい。
「清光館哀史」は、民俗学の文章というよりは、旅情あふれる紀行文として、しみじみ、読めます。

新規作成(07/6/30)

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