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宮沢賢治 存在の祭りの中へ
(見田宗介、岩波現代文庫)


宮沢賢治 存在の祭りの中へいやー、驚きました。宮沢賢治が、こういう人だったとは。
自分の読んだ宮沢賢治の作品は、童話集と何かにつけて目に触れたもののみ。が、「宮沢賢治 存在の祭りの中へ」を読んで、恥ずかしながら、その深遠さを、初めて感じることができた。

思想家というものを、自分の人生上の問題に対して、真摯に、かつ、それまでの思想史というか常識とは無関係に考え抜いた人と定義するならば、宮沢賢治は、間違いなく、日本史上における真の思想家だと思う。ただ、その表現の形式が、詩や童話という形をとっているので、見えにくいだけだ。

本書では、著者自身が、あとがきに書いているように、自我の問題の視点から宮沢賢治を読み解いている。「夜どほし赤い眼を燃してつめたい沼に立ち通す」視線に晒されている関係としての自我、焼身願望と自己犠牲が癒着した自我、見えない次元へと飛び立とうと上昇する自我、そして、その見えない次元を大地の上に実現しようとする実践的な自我。賢治は、こういう局面を、意識的に、無意識的に生きたとし、各局面毎に論が進められる。
一方で、世界に対する新鮮な感受性や強烈な倫理性、奔放な想像力、地学や物理学等の自然科学系の知識が、これらの各局面と絡まり合い、賢治の人生は生きられた。この感受性や想像力は、日本人の精神の古層に属する縄文的なものと言えると思うが、そういう感性と論理的な現代の自然科学が、いかに生きるかという実践と、賢治の中で結びつく。これだけ豊かな要素が活き活きと交錯した賢治という人は、本当に、奇跡的な存在だったということがよく分かる。

あとがきには、ふつうの高校生に読んでほしいと思って書いたとあるが、表現は易しくない。が、筋道はしっかりしており、文章も省略なく丁寧に書かれているので、精読すれば、理解は難しくないと思う。各節のサブタイトルも、考え抜かれている。また、引用も、ポイントを越えて、充分になされているのがいい。

今年の東北旅行の後に、嫁さんが買ってきた賢治の詩集を読んでも、何のことやら、分からなくて、投げ出してしまったけど、今、読めば、もう少し、理解できるような気がする。
繰り返し、読めば読む程、味が出てくる一品だと思う。とにかく、賢治を理解したい人は、読むべし。

新規作成(07/11/15)

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