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2009年1月後半

1月31日(土)

■東北学/忘れられた東北(赤坂憲雄)

東北学/忘れられた東北東北学へ <1> もうひとつの東北から」が、「東北学/忘れられた東北」というタイトルの文庫本になっているのを発見。
「東北学へ...」は、東北ツーリングに行く前などに、ちょくちょく、目を通していた。

著者のいう東北学とは、柳田国男の「常民」に代表される稲作中心史観へのアンチテーゼであり、東北の地に埋もれている稲作以前の民俗を基に、より重層的な日本を描き出していこうとするもの。
大抵の日本人は、米に対して特別な思いを持っているだろう。曰く、日本は米の国である、田んぼが放棄されるということは日本の原風景が失われることである、云々。だが、それは、本当か。東北を見よ。稲作が始まる前はもちろん、本格化してからも、稲作以外の様々な生産手段や生活があった。そして、稲が来る前には、豊かな縄文の文化があったではないか。日本の文化には、その痕跡が残っている筈だ。
日本人が皆、一ヵ所に定住し、米を作り、正月には歳神を迎え餅を供えた「常民」というわけではなかった。本来、日本とは、稲作以前・以後が重なり関係しあった重層的なものであり、東北の稲作以前の民俗から、そういう日本を描いていく。そんなところが、著者の言う東北学なのだと思う。

そして、本書は、そんな東北学のマニフェストに相当している。従って、回答が書いてあるわけではなく、東北学で扱うべき事実や今後解かれていくべき課題が書かれていることになる。それでも、そのような事実や課題があるということを知るだけでも、東北に対する視線は、より豊かなものになる。
そういうことで、特に、東北を旅する人に、オススメの一冊。各章がテーマ毎に比較的独立しているので、これから訪れる先に関係のある章だけを手軽に読めるのもいい。文庫なので、持ち運びも簡単だし。

それにしても、「石の宗教」といい、「人類史のなかの定住革命」といい、講談社学術文庫は、いい本を文庫化していますな。


1月26日(月)

■東北旅行

前々回の週末は、昨年同様、親孝行ということで、嫁さんと自分の両親とで、松島へ。

昼頃の新幹線に乗り、仙台で降りると、意外と寒くない。両親も、暖かいというようなことを言っている。
駅でレンタカーを借りて、松島へ向かう。天気は、まぁまぁの晴れ模様。途中、仙台港の近くを通るが、最後に、ここから北海道へ渡ったのは、もう、5年も前のことになる。次は、あるのかなぁ...

松島は仙台から車で一時間程で、真っ直ぐ行くにはちょっと早過ぎるので、塩竈の市街に寄ってみる。多分、酒蔵があると思うんだよな。
で、適当に走ってすぐに見つけたのが、浦霞の蔵。へー、浦霞は塩竈なんだ。が、どうも、閉まっている感じ。なので、そのまま通り過ぎると、塩竈神社を発見。これも何かの縁ということで、初詣のお参りをすることに。

塩竈神社神社は結構な人出で、元旦は混むんだろうなと思いながら、境内へ向かう。途中、開運・商売繁盛の「撫で牛」があったので、なでなで。今年は丑年のせいか、「なでうし御守」というものもあって、嫁さんが買っていた。

お参りが済んだ後は、近くの酒屋へ。で、父親と嫁さんは、たくさん、試飲をさせてもらっているのであった...。
結局、浦霞の新酒とすぐ近所で醸されているらしい於茂多加という酒を購入。
宿に向かい少し走ると、右側に、松島らしい海と小島の箱庭的景色が見えてきた。日本人好みの眺めですな。

今宵の宿は、「松庵」という松島湾に面した旅館。大分、前に、秋保温泉の佐勘という宿の風呂に立ち寄ったことがあるのだけど、この宿がなんとも高級感溢れるところで、一度、こんなところに泊まってみたいなぁと思ったことがあった。で、その時に、ここ松島にも関係の宿があるのを知ったのだが、今回、ふと思い出して、11室だけのこじんまりとしたところなので空いてないだろうなと思いつつ、予約状況を確認してみると、なんと、空いていたのだった。宿を探したのが、来る数日前というギリギリだったのが、かえってよかったか。
松庵の部屋からの早朝の松島湾部屋に通してもらうと、海が目の前の素晴らしい眺め。プライベート・ビーチという感じ。部屋もきれいで、何よりも、静寂感がいい。
そして、そして、食事が、また、素晴らしかった。これだけのレベルのものは、専門の店でも、なかなか、無いのではないかというくらい。サービスをしてくれた女の子が、料理長のファンがいて通っていると言っていたけど、分かる気がする。酒が進んで、仕方がなかったっす。
翌日は、11時頃までのんびりしていたのだが、最後まで、好印象は変わらず、両親も喜んでくれて、大満足の宿でした。

瑞巌寺の洞窟群仙台駅に行く前に、少し、時間があったので、松島の瑞巌寺に寄ってみる。
海岸から寺に向かって、真っ直ぐの参道があるのだが、少し脇に逸れる形でも、歩道がついている。で、そちら経由で歩いていくと、脇に洞窟が並んでいて、その前には、西国三十三観音像が並んでいた。暗くてよく見えないのだが、洞窟の壁には、何かが彫られているようで、ちょっと、おどろおどろしい気配。仏教というより、それ以前の原始的な民俗宗教的雰囲気を感じる。

瑞巌寺の本堂さて、拝観料を払って、本堂へと進む。で、入口のすぐ脇に、また、法身窟という洞窟があるのだが、本堂の辺りまで行くと、いかにも禅寺という感じのこざっぱりとした雰囲気。洞窟の辺りとは全く違う理知的な感じ。
近辺は、元は、仏教以前からの聖地で、そこに寺が創られたのだと思うけど、カオティックな無意識の上に理性が被さっている人間の精神構造の様で面白い。
ちなみに、帰ってから、司馬遼太郎の「街道をゆく 26 嵯峨散歩、仙台・石巻 」を読むと、洞窟群に関して、似た様なことが書かれていた。
「洞窟は山の水で濡れ、黄ばんで人肌に似ている。その数が多く、しかも人工を施した跡もある。古代の風葬の地−死体置場−ではなかったと想像したが、それらしい説明はない。他の説明もない。陽が傾き、林間が薄暗く、人影もなく、岩窟から鬼気がただよっている。」
ところで、芭蕉も瑞巌寺には来ているが、立石寺といい湯殿山といい、こういう民俗宗教的な聖地が好きですな。

本堂へは上がれるようになっていて、中をぐるりと一回りできる。各部屋には彫刻や襖絵等の芸術品があるのだが、建物の中は底冷えがして、それどころではない感じ。今日は快晴で風もないので、外の方が、まだ、暖かい。
次に、本堂の近くの宝物館に入ってみる。すると、暖房が効いていて、あー、暖かい。
地下に展示があるので、階段を降りていくと、いきなり、なんと、円空の仏像があった。大分、痛んでいて、顔も全部は分からないが、円空らしさは窺われる気がする。しばらく、ご対面した後、裏側に回ってみると、台座の中が空洞になっているのが分かった。円空が、素材となる木を如何に自然に活用したかが分かって面白い。円空にとって、仏を彫るということは、木の中に籠っている精霊に本来的な具体的形象を与えることなのだということがしみじみと分かる。素晴らしい日本的芸術ですな。

その後は、双観山展望台に寄って、結局、仙台駅には1時過ぎ頃に到着。そして、昼ご飯ということで、昨年の夏の旅行でも立ち寄った仙台駅の駅ビルの寿司屋で、昼から盛り上がるのでした〜。

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