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2006年11月後半

11月30日(木)

■Newton 1月号

Newton最新号10月下旬の北陸ツーリングのレポートで、日本は雨が多いというようなことを書いたが、何故、多いのか知らないままに書いていた。
で、たまたま見かけた今月号の「Newton」の特集が「気象の決定版」で、「地球と気象のしくみがみるみる理解できる」「天気図がすぐよめる」とあったので買ってみた。

雨は、ライダーにとって切実な問題。その雨が降る理由は、端的に言うと、上昇気流に乗った空気が上空で冷やされて、水蒸気が水滴となり、その水滴が成長して雨となって落ちてくるため。なので、雨を考えるときは、上昇気流がどういう状況で発生しやすいかを考えればよい。
例えば、前線の周辺で、何故、雨が降るのか。そもそも、前線とは、暖かい空気と冷たい空気がぶつかっている場所を表している。暖かい空気が流れ込んでいる場合は、暖かい空気が冷たい空気の上を滑るように上昇するために上昇気流が生じる。逆に、冷たい空気が流れ込んでいる場合は、冷たい空気が暖かい空気の下に入り込み、それで、暖かい空気が押されて上昇気流が生じる。それで、雨が降りやすくなる。

また、日本の気候に大きな影響を及ぼしているのが、太平洋高気圧、オホーツク海高気圧、シベリア高気圧、移動性高気圧の4種類の高気圧。これらの高気圧の勢力が、日照と偏西風の影響により変動するために四季の特徴が発生する。各高気圧の勢力変動の理由も、ちゃんと、説明がある。

本題の日本に雨が多い理由は、日本は海に囲まれていることと、脊梁山脈による急峻な地形のため。まず、地球規模の大気の流れや、上記の高気圧の影響等により日本に流れ込んでくる空気が、日本を囲んでいる海の上を通るときに水蒸気を吸収する。この水蒸気を多く含んだ空気が山に沿って上昇気流となり、それが、雨になって落ちてくるということ。
まとめると、海の上に山塊が一気に立ち上がっているところに、空気が吹き込んで来やすい大気の状況があるからということかな。

Newtonは初めて買ったが、説明が非常に分かりやすい。レベル的には、多分、中学・高校で習う内容なのだと思うけど、そんなものはすっかり忘れていた。なので、なるほどねぇとひたすら関心しながら読んでしまった。

雨の中のライディングは、あまり、楽しいものではないが、この雨を降らせている原因が、遠く太平洋やオホーツクの海上の大気の状態のせいだと思えば、ロマンチックな気もしないではない。そう思えば、少しは、雨も好きになる!?


11月26日(日)

■有明フェリーターミナル

おーしゃん うえすと今日は、以前の雑記に書いた伊豆の稲取の朝市に行くつもりだったが、朝起きると、雨が降りそうな空模様だったので、中止。ただ、1ヶ月近く、オートバイに乗っていないので、近所をぶらりと走ってきた。
で、その途中のお台場で、標識に、有明のフェリーターミナルの文字を見つけたので、ちょっと、寄ってみた。

ターミナルに近づくと、2車線道路の左側は、トラックの荷台がびっしり。これ、駐車違反にならないのかね。また、辺りにはゴミが散乱していて、殺伐とした印象。

ターミナルに到着し、オートバイを停めて、埠頭に行くと、フェーリーが1隻碇泊していた。徳島・北九州に向かうフェリーだ。99年のゴールデンウィークの四国ツーリングで、乗ったことがある。時間は昼前で、出発は夜の筈なので、乗客がいるわけもなく、フェリーの中からは溶接をしているような音が聞こえる。辺りには、釣り人が2,3人と、駐車場にはトラックの運転手と思われる人が何人か作業をしているだけ。閑散としている。

ターミナルの建物に行ってみると、中に入れた。エスカレーターで2階に登るが、受付はシャッターが閉まっていて、誰もいない。受付の様子を見ると、このターミナルから出発するフェリーで、一般旅客向けのものは、今、泊まっている徳島・北九州行きの便だけのようだ。以前は、釧路行きの航路があったが、99年に休止になっている。

釧路行きフェリーのサブリナ右の写真は、休止になる99年の北海道ツーリングの際に乗ったサブリナ号。確か、夜の12時頃に出航して、翌々日の朝の7時頃に釧路に到着するスケジュールだったと思う。フェリーの中で2泊することになるので、長い気もするが、金曜日の仕事の後に乗り込めば、日曜日の早朝に釧路をスタートできるので、意外と効率的だった。ただ、和商市場は日曜日が休みだったので、なかなか寄れなかったという弊害もあったけど。
そういえば、あと、高知行きの航路もあったな。2回程、使ったことがあるけど、こちらも休止になってしまったのだろうか。

有明フェリーターミナル3階に登ると、大きな待合室があった。自分も、ここのイスに座って待ったことがあると思うのだが、待合室があることも、すっかり忘れていた。7年振りだもんな。もちろん、この時間に、フェリーを待っている人はいない。ゲームの機械の音が、虚しく聞こえるだけだ。
外を眺めると、東京湾が広がっている。自分が実際に利用したフェリーの出発時刻は夜だったので、その時に見たのは夜景だったことになる。ここで、夜景を眺めながら、旅の高揚感に浸っていたのだと思う。
最近のフェリー事情は、休止になる航路ばかりで残念だが、昨今のスピード感の常識を考えれば仕方がない気もする。飛行機であれば1,2時間で着くところを、10倍の時間をかけて行くことに価値を見いだす人は減って行くだろう。自分だって、今年の北海道ツーリングは、往復とも、飛行機だった。
が、それは、時間の制約があるからで、もっと自由な時間があれば、フェリーで、普段は読めないような本を読みながら、じっくりと、来るべき北海道を思いつつ、のんびりしたい。自分は、海の上の独特な時間の流れ方がとても好きなのだ。
でも、これから、そんな機会は、果たしてあるのかなぁ。


11月19日(日)

■リアルであること(中沢新一、幻冬舎文庫)

リアルであることオートバイに乗っていると、何かが、ストンと腑に落ちることがある。例えば、雨のツーリング中の信号待ちで、ヘルメットを叩く雨の音に、「あー、雨が降っているんだな」と思うことがある。
そういう時に感じる何かを、リアルとかリアリティと言いたいのだが、そのものずばりの題名の本を見つけたので読んでみた。

リアルであること」(中沢新一、幻冬舎文庫)

薄い本なので、すぐに読んでしまったが、読んでいる間、ちょっと違うかなと思い続けていた。改めて、この本で言っている「リアル」とは何だろうと思っていると、最後のあとがき(!)に定義らしきものがある。
「存在の岸辺に打ち寄せるその不可解なもの、それを、私は「リアル」と呼ぼうとしたのである。ほかの名前、たとえば「無」と呼んでもいいし、いっそ禅仏教風に「莫妄想」と呼んだってかまわない。」
ということは、本書での「リアル」とは、本来は無い筈のものなのに、人の認識により捏造された主体やら真理やら歴史といったものの向こう側にある、何か、カオスのようなものを言っているのだと思われる。カントの「物自体」やラカンの「現実界」のようなものかな。
なので、自分の言うリアルとは、大分、遠い感じだが、ヒントとなるようなものも、特に読み取れなかった。「リアル」を遠目に見ながら、その周りをグルグル回っているような内容だ。

話変わって、本書の後半に、旅と題する小文があって、そこに、「メディアと交通の高度な発達は、いまに「旅の快楽」から、意味を奪っていくだろう。」と書かれている。
言いたいことは分かる気がする。テレビや雑誌、特にネット上の細かい情報を見ていると、それを読んでいるだけで、自分が行ったような気がしてくる。実際に、現地に行ってみると、ネットにあったのと「同じ」だなと思ったりする。また、交通網、特に道路の整備により、どこでも気軽に行けるようになった。もはや、秘湯という言葉は死語になりつつある。今や、飛行機&レンタカーを使えば、大抵の「秘湯」は半日程度で行けるだろう。
さらに、次世代ゲーム機の性能を考えれば、実際にほぼ近い地理データに基づいた、CGによるドライブも、自宅のリビングで経験できるようになる(TEST DRIVE Unlimited)。
だが、一方では、以前の雑記で、「その風景の一部に加わりながら一緒に暮れてしまいたいと無性に思ったのである。」と引用したような旅もある。このような体験は、バーチャルな手段や、お手軽なドライブでは決して経験できない。「メディアと交通の高度な発達」やゲームによっては、意味を失うことはない種類の旅だろう。自分の言うリアルとは、そういうところにあると思っている。

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